片上徹也先生が語る、精神科医への道とリハビリを乗り越えた経験
クリニック紹介〜アウルクリニック〜
アクセス
所在地〒530-0001 大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル地下1階22号(ブロック番号:11番)
アクセス梅田駅:徒歩6分
営業時間
診療時間
10:00
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18:00
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19:00
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23:00
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連絡先 / 予約方法
電話番号06-6690-8017
アウルクリニックの強み
患者中心の包括的なメンタルケア
アウルクリニックでは、患者一人ひとりのニーズを理解し、その人に最も適した治療を提供することに注力しています。問診から治療方針の決定まで、患者の意見を尊重し、共に最適な治療プランを立てる姿勢を貫いています。精神療法や薬物療法をバランスよく組み合わせ、最も効果的な治療を実現することを目指しています。
幅広い専門知識を持つ医師陣の在籍
アウルクリニックには、精神分析や認知行動療法などさまざまな治療法に精通した医師たちが在籍しており、患者の症状に応じた適切な治療を提供しています。また、複数の専門家が連携し、患者の治療効果を最大限に引き出すためのサポート体制を整えています。
リハビリ経験を活かした共感力のある診療
片上先生自身が脳動脈瘤の破裂を経験し、長期のリハビリを経て復帰しているため、患者の気持ちや苦しみを深く理解しています。この経験をもとに、患者の不安や苦痛に寄り添った診療を提供し、特にメンタル面でのサポートを重視しています。
アウルクリニックの片上院長にお話を聞いてきました!
精神科医を目指した理由ときっかけ

片上徹也:片上徹也と申します。よろしくお願いします。

徳山:インタビュアーはエニキュアメンタルクリニックの医療顧問兼神通りメンタルクリニック院長の徳山が務めます。よろしくお願いします。それでは片上先生の今の状態に至るまでの経歴やご経験をお伺いしていきたいんですが、お産まれはどちらでしょうか?

片上徹也:兵庫県の神戸です。医療の家庭に生まれました。医学の道に進むことは選択肢としては最初から候補にありましたが、最初から意欲も行けるというような成績もなかったので声を大にして目指しているという感じではなかったです。いたけどもまあこっそりぐらいな感じで最初は考えたんですね。

徳山:医学部を目指した時点で精神科まで先生は考えていたのでしょうか?

片上徹也:そうですね。まあ、医者医者というか、精神科医っていうのはいいなと。医者というのの前に精神科医というのは憧れてましたね。

徳山:じゃあもう医者になるなら精神科医ということで医学部を目指したということなんですね。

片上徹也:ほぼそうですね。

徳山:分かりました。えーと、ご両親はどのようなお医者様だったのでしょうか?

片上徹也:父は肺腫瘍内科医、母も医療関係者でした。

徳山:てっきりそのご両親のどちらかが精神科医なのかなと思ったんですけど、そこはちょっと違ったんですね。

片上徹也:そうですね。あんまり関係なかったです。

徳山:その精神科を考えたきっかけって何かあるんでしょうか?

片上徹也:きっかけは精神科の先生の本をよく読んだことですね。面白いことを書くなというのがありました。

徳山:ちなみにそのどのような先生のどのような本だったんでしょうか?

片上徹也:一番実用的な感じで言うと、受験の勉強の方法を変えた和田秀樹先生の本ですね。東大の和田秀樹先生っていうのがきっかけの一つだったと思います。

大学生活と研修医時代の経験

徳山:先生は書籍もたくさん書いてらっしゃいますよね。

片上徹也:そうですね。むちゃくちゃ本屋に並んでいるぐらいです。

徳山:今でもニュースのコラムにもよく執筆されてますよね。

片上徹也:そうですね。

徳山:じゃあその辺から精神科医になろうかなということで、お医者さんになったわけですね。大学は奈良県に進学されたと伺いましたが、大学生活はどのようなものでしたか?

片上徹也:授業を取る日数が少なくて、ひたすらテニスをしていました。ほぼテニスか飲み会していました。

徳山:じゃあ部活のテニスですね。

片上徹也:はい、部活のテニスか、朝早くからテニスをしていました。

徳山:ストレートで大学生活を終えたんですか?

片上徹也:そうですね。ギリギリを崩さないように計算して出席していました。

徳山:卒業後はどのように考えていましたか?

片上徹也:最初は研修医制度が始まっていたので、たまたま空いていた農園病院に行きました。今はもう人気病院で入れないくらいですけど。

徳山:その病院は精神科がある病院だったんですか?

片上徹也:精神科は単科病院で、協力病院に坂本病院という病院がありました。

脳動脈瘤の破裂と復帰への道

徳山:先生が病気になられたと伺いましたが、その話を少しお聞かせいただけますか?

片上徹也:研修終了直前の3月27日に倒れて意識を失いました。後で診断されたのは脳動脈瘤の破裂でした。

徳山:それは大変でしたね。入院とリハビリはどれぐらい続けられたんですか?

片上徹也:入院が9ヶ月、リハビリが1年半、合計で2年ほど臨床から離れていました。

徳山:その間のご経験は壮絶ですね。

片上徹也:そうですね、かなり広範囲な損傷がありました。

徳山:それでも回復されたのは本当に素晴らしいことです。

片上徹也:ありがとうございます。

徳山:倒れてしまった時点で医師としてのキャリアはどうなるか不安だったのではないですか?

片上徹也:そうですね。しばらくは全く動けませんでしたし、言葉も出なくなってしまいました。ですので、正直、医者として戻れるかどうか全く自信がありませんでした。

徳山:リハビリをしている間に、再び医療の現場に戻りたいという気持ちは強かったのですか?

片上徹也:最初はその気持ちがほとんどなかったんです。リハビリ自体もとても大変で、普通に生活するだけでも精一杯でした。しかし、少しずつ回復していく中で、また医療の現場に戻りたいという気持ちが芽生えてきました。

徳山:復帰までのプロセスはどのようなものでしたか?

片上徹也:まずは体力と基本的な生活能力を取り戻すことが第一でした。その後、徐々に医学の知識を取り戻すために勉強を再開しました。最初は簡単なテキストから始め、次第に専門的なものに移行していきました。

徳山:その過程で支えてくれた方々はいましたか?

片上徹也:はい、家族や友人、そしてリハビリを担当してくれた医療スタッフには本当に感謝しています。彼らの支えがなければここまで回復することはできなかったと思います。

徳山:復帰後、実際に現場に戻ることに不安はありませんでしたか?

片上徹也:もちろん不安はありました。しかし、以前と同じように働くことができるかどうか確かめるために、最初は短期間の研修やパートタイムでの勤務から始めました。徐々に自信を取り戻し、フルタイムでの勤務に戻ることができました。

徳山:現在はどのような形で医療に携わっているのですか?

片上徹也:現在はメンタルクリニックでの診療を中心に活動しています。リハビリを通じて得た経験を生かし、患者さんに対してより深い理解と共感を持って接することができるようになったと思います。

徳山:リハビリの経験は、患者さんとの関わり方にどのような影響を与えましたか?

片上徹也:自分自身が患者としての経験を持ったことで、患者さんの気持ちや苦しみをより深く理解できるようになりました。特に精神的な苦痛や不安に対する共感が強まりました。患者さんに対しても、ただ治療を提供するだけでなく、彼らの心の支えとなることを目指しています。

徳山:最後に、今後の目標や展望について教えていただけますか?

片上徹也:今後も患者さん一人ひとりに寄り添いながら、彼らがより良い生活を送れるようにサポートしていきたいと思っています。また、自分自身も引き続き学び続け、より多くの患者さんに貢献できるように成長していきたいです。

徳山:本日は貴重なお話をありがとうございました。これからのご活躍を心から応援しています。

片上徹也:ありがとうございます。お話できてよかったです。